医師として、武士として     安藤 武士 Andou takeshi


 
vol.9
  戦争倫理学 2003-4-11
 
 

「イラク戦争」の山は過ぎた。中東の世界はあらたな情勢を迎えている。2月下旬、新聞の書評覧に加藤尚武著「戦争倫理学」という表題が目に入った。早速、手にした。222頁からなる新書本である。「イラク戦争」が差し迫っているなか、米英の主張が正しいのか国際世論が正しいのか判断することが目的でなく、「表題」に興味を持ったからである。誰もが「倫理外の絶対悪」と思っている「戦争」と、ことの善し悪しを論ずる「倫理学」とが結びつかなかったのである。「戦争」に、善い「戦争」、悪い「戦争」があるのであろうか。「正義の戦争」があるのであろうか。「戦争倫理学」とは何か、小生の理解したことを雑駁に記す。

戦争とは主権国家間の「もめごと」を武力で解決することである。悲惨な戦場を目にした人は戦争を絶対悪と思うであろう。しかし、有史以来戦争は続いている。これからも無くならないであろう。加藤氏は世界中の世論が「戦争」に向かって走り出したとき、自分の考えこそが正気であるといえるため、自分自身の位置を正確に測定できるような、羅針盤を持たなくてはならない。「羅針盤」となるものが「戦争倫理学」であると述べている。著者は「戦争倫理学」とは、「戦争のルール」のことであるといっているが、小生は「戦争の是非」と「戦争の際の行動基準・ルール」を論ずる学問と定義したほうが理解され易いと思う。

「戦争の是非」を論ずる場合、もっとも基本的なことは「外国から軍事攻撃を受けたらどうするかという行動基準・ルール」に集約されると説明している。その行動基準は、絶対平和主義、戦争限定主義、無差別主義に分類されている。絶対平和主義は、自己の安全を保持するための自衛権をも放棄し、いかなる軍事行動も行うべきでないという考え方である。「戦争は悪だ」という道徳的な価値判断が重きをなしている。戦争限定主義は、すでに起こっている軍事行動だけは認めようというものである。無差別主義は、戦争は主権国家の固有の権利でそれを規制するいかなる規制もありえないという考えである。現代の戦争は「戦争限定主義」から「無差別主義」に傾きかけているが、「自衛のための戦争」と「国際連合が容認した戦争」は国際世論に受け入れられている。

「戦争の際の行動基準・ルール」は、正義のガンマンと同じ行動基準であるという。西部劇の好きな人はお分かりと思う。相手がピストルを抜く瞬間を見極めて、相手よりも後にピストルを抜き、相手より先に引き金を引く。正当防衛が成り立つ。国際連合憲章では、正当化できる唯一の武力行使は自衛権の行使であるとしている。議論が多いところであるが、防衛のためという理由で先手を打った武力行使が容認されることもある。「非戦闘員の殺傷の禁止」は、「戦争の際の行動基準・ルール」の最も基本的かつ重要なルールである。意図的に非戦闘員の殺傷を行えば犯罪となる。

多くの人は「戦争を絶対悪」というが、「武力攻撃を受けた場合は」、「家族が、知人が拉致されようとしたらどうするのか」と質問をたたみかけられると「力で対抗せざるを得ない」と回答することになる。果たして、絶対平和主義を貫くことができるであろうか。小生は、そのような状況を作らないようにするとしか答えられない。

著者、加藤氏は「厳格な倫理に沿った限定戦争は容認されうる」という立場に立っているようであるが、「・・・、戦争を適当に制限しつつ維持していくことの方が現実的だと考える人は、地球の環境がもはや戦争に絶えられなくなっていることを忘れている。戦争という賭けは、勝利者にとっても重大きな損失をいみする。環境という運命共同体の運命を担った人類は、平和という条件のなかでしか生きられない。・・・」とも記し、戦争のない世界を願っている。

 戦争はこれからも起きるであろうが、国家という次元でなく地球という次元で平和を求めれば、「戦争倫理学」という学問は不要になるであろう。

 

 
 vol.8
  職名
2003-3-14
 
 

昨年、法が改正され「看護婦」という職名が「看護師」になった。改正に反対する訳でないが、小生にとっては「看護婦さん」という方が「温もり」があって良い。声を出してみると響きが違う。学校の「せんせい」と「教師」、「教員」と同じように、という小文を以前のコラム(Vol.6)に寄せた。

先日、ある新聞のコラムに「看護婦」と「看護師」では同じ職業でも患者にとってはかなり違うと記されていた。無論、そのコラムニストも「法」が改正されたことに反対しているのではない。−「看護師」という職名は、高度の専門職であることがより明確に示されているので喜ばしいことである−と断りながらも、「看護師さん」には医療・看護の専門的なことを尋ねることは出来ても、こんなことを聞いたら笑われるのではないかと構えてしまい些細なことが聞けない。「看護婦さん」なら何でも聞くことができる。今でも、「あの〜、看護婦さん」と「看護師さん」に声をかけているという。

現在、書類、メディアはすべて「看護師」となっているが、医療の現場では「看護婦さん」と言われている方が圧倒的に多い。「不慣れ」なことだけではないようである。いずれは「看護師さん」になるであろう。

英語で「看護に携わる人」の職名はNurse:ナース であることは、日本人、誰でも知っている。辞書には「看護婦」、「看護人」と記されている。「看護師」という職名には「性」が無く、女性と男性が含まれるが、英語では女性の看護人をNurse(看護婦)、男性の看護人をa male nurse(看護士)という。「看護師」と言う語句は英語にはないようである。英語圏の病院で、Nurse !と叫ぶと、「看護婦さん」が飛んでくると辞書に載っている。

小生の職名である。30数年前、当時の厚生省から「医師免許証」を交付された。免許証に「医師」と記載されているので、法的には「医師」が職名である。「医師」は、「医者」、「お医者さん」、「医家」とも言われる。「医師」は硬苦しく、「医者」、「お医者さん」はくだけた感じを受ける。「医家」は文章語である。個人的には、周囲の方からは「先生」と呼ばれることが多い。手元の辞典で「先生」を引くと@師として教える人、A学芸に優れた人、B教員・医師・文士・議員などを尊敬して呼ぶ語、と記されている。「医師」を、なぜ「先生」と呼ぶようになったかわからない。幼なじみの友人に、そんなことを調べていると気取って言ったら、尊敬語として使っているのではない、「医師」と同じ意味で使っているだけと言われ、顔が赤くなった。

医療雑誌に「名医」「良医」の違いが記されていた。「名医」は人間性が良いことは必ずしも要求されないが医療技術が優れている医師のことを、「良医」は医学知識が優れていなくとも人間性が良い医師のことを指すと言う。外科医は前者が、内科医は後者が望ましいと解説されていた。小生は、「良医」と言われることを望外の喜びとするが、30数年来、外科医であったので複雑な気持ちでいる。

「やぶ医者」という言葉があるのを忘れていた。「やぶい」、「やぶ」ともいう。意味は分かるが、来歴がわからない。小生には、関係がないと思っているので調べいないことにしている。


      

 
vol.7
  インターネット
2003-1-25
 
 

5年前、パソコンを始めた。勤務先の病院が導入してくれた。生涯、パソコンに触れることはないと思っていた。セッティングにきた業者に、「インターネットで情報を得るにはどうすればいいの?」と尋ねたら、困惑しながらも手本を示してくれた。小生がやってみることになった。学生時代に所属していた「クラブ」を検索してみた。驚いたことに「クラブ」のホームページが表示された。「クラブ」にそんなものがあることも知らなかったので興奮した。早速、自宅にも設置した。未だ、幼稚園児のレベルを脱していないが、パソコンにはまった。

先日、本コラムの編集子より「小生のコラムを更新した」と自宅に連絡が入った。勤務先のパソコンで「更新されたコラム」を見るため小生の名前を検索すると、画面に同姓同名の検索結果が少なからず見られた。「更新されたコラム」は確認できた。自身のことは無論のこと、同姓の検索も初めてであったので表示されている検索結果をくまなく見ると、小生が大学の外科に所属していた頃、「学会誌」に投稿した論文の表題が目にはいった。78年の「学会誌」である。開いてみた。「高令者(69才)大動脈弁・・・・・一期的手術治験例」という論文の表題であった。血気盛んな20数年前を思い出した。

外科医になって9年目の76年、責任者とし初めて「市中の病院」に勤務したとき経験した症例である。当時としては大手術で、高齢でもあり手術をすること自体ためらわれた。朝9時より翌朝7時まで時間を要した。病棟の個室を仮のICUとし、小生は患者の脇に簡易ベッドを置き、数日間そこで仮眠をとりながら術後の治療にあたった。悪戦苦闘の連続であった。元気で退院された。小生の自慢の症例になった。

4年後の80年、越後平野から三国山脈を越え渋谷区広尾の日赤医療センターに移った。勤務を始めて間もないある休日、出先でポケットベルが鳴った。病院からであった。至急、救急外来に来るよう要請された。救急外来に行くと、気管内挿管され蘇生術を受けている人が目に入った。繁華街で倒れ救急車で運ばれてきたが、意識は無く思わしくない状態である。原因がわからない。胸部の正中に切開創痕があるので心臓の手術を受けたことがあるのではないかと思い小生を呼び出したと担当医から説明を受けた。

早速、診察した。胸部のほか右鼠径部にも数センチの切開創痕を認めた。間違いなく心臓の手術を受けていたことを示していた。切り裂かれた衣類や周囲の医療器具が整理されると、治療を受けている患者が一つの視野に入るようになった。どこかでお会いしたことがあるように思えた。

思い出すまでに時間はかからなかった。そう、「学会誌」に掲載されているその人であった。4年ぶりの驚きの再会であった。遠く離れた東京で、このような状態でお会いすることになるとは思ってもみなかった。顛末を関係者に話しいるうちに親族の方と連絡がとれた。

親族の方の話では、数日前より東京に滞在しているが、毎日、朝から酒を飲み「薬」を服用したかどうか分からなくなることがあり心配していたという。この方は、心臓に人工弁が装着されているため抗凝血剤の服用を必須としていた。「抗凝血剤の服用のし過ぎで脳内出血を起こしたのではないかと推測している」と担当医に説明した。回復を願い、救急外来を離れた。

インターネットが、昔のことを思い出させた。しかし、どうして20数年前の思い出が込められたこの「論文」だけが載っているのであろう。不思議でならない。


vol. 1  医療の質  vol2 医療の質−その2 vol3 医療の質−その3
vol. 4  医師の心  vol5 医師の心−その2 vol6 看護婦さん
vol.10  旬の過ぎたはなし−「ノーベル賞」 vol.11 「倫理」の変遷 vol.12 赤十字とナイチンゲール
vol.13 刑法第134条 vol.14 素人の教育論 vol.15 格付け
● vol.16 流行 vol.17 災害医療 vol.18 無題
● vol.19 シーベルトの娘:看護婦資格制度の黎明 vol.20 ユ・カンナラちゃんを偲ぶ vol.21 心蘇生
● vol.22 5年後の告知 vol.23 漢字の日 vol.24 評価
● vol.25 人体標本の値段 vol.26 NBM:医療概念の変遷 vol.27 文化の日
● vol.28 喫煙と終末
期医療

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