起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol.42
  「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い
  2007-1-16
 

在院日数の短縮、単に退院を勧めるのはおかしい。それでも、保険制度は確実に変わり、療養環境は入院から在宅へとシフトされてきている。

東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センターの外来棟に「在宅医療支援展示室」が誕生した。看護実践家として38年間、在宅看護の道に足を踏み入れて23年間、看護コンサルタントとして10年間の蓄積に基づく看護師村松静子の提案、フランスベッドメディカルサービス株式会社の協働作業、その提案を快く受け入れてくれた日本赤十字社医療センターの心意気によるものである。

展示室は同病院の外来棟受付横に設けられ、8畳間(約20u)の成人コーナー、4.5畳間(約15u)の小児コーナーの2間からなり、どちらも家庭的雰囲気を保つ部屋づくりである。介護ベッド、吸引器、吸入器、ポータブルトイレ、車いす等を置き、在宅での療養に必要な福祉用具や医療機器が家庭に入るとどのような感じになるか等をイメージできるよう再現している。この試みは、在宅で療養をされる方やご家族からの「退院後の生活がイメージできない」、「在宅医療がわからない」「家庭の支援機器にはどのような物があるのかを知りたい」などの声に応え、「自宅に帰りたい、連れて帰りたいという思い」と「自宅に戻る不安を少しでも解消する」との考えが合致し実現したものである。

展示室では入院を余儀なくされている方とそのご家族はもとより、来院者、医師、看護師、訪問看護の担当者、看護を学ぶ学生等が実物を見て触れて体感し、在宅生活像が理解できること。また、医療従事者の質的向上、関係者の理解促進の一助となり、在宅医療のイメージ化に役立てばとの願いが込められている。
  
        

 
vol.41
  スタッフと共に追求する看護の価値:その2 2006-1-30
 

「看護の価値」について、改めて疑問を抱いた私は、今の時代、「求められる看護とはどのようなものか」「今の看護師に、何が欠けているのか」「看護の価値はどこにあるのか」をあえて、追究ではなく、追求し続けている。自分で書いたその時代の文面をも読み返しながら考え続けている。

今から6万年前、人間は仲間の死をきっかけに人間らしい心を得たといわれる。その死を悼み、花を手向ける。正に悲しみという感情の表出である。当時は、文明もなかったが大きな戦争も起こらなかった。しかし、それから3万年後、芸術的才能を持ちそなえた狩の達人が現れた。脳の最前部に位置し、最も人間らしさを強調する前頭葉の進化により創造力を勝ち得た人間の誕生である。その前頭葉はさらに進化の道を辿ることになる。生きる前に目標を掲げ、それを達成するために行動を起こす。そこには「善」と「悪」との2つの顔を持つ心が潜んでいた。感情を抑えて人に優しくすることもできるが、勝手に暴走することもできる。その操縦はその人にしかできない。頼もしい反面、恐ろしいことでもある。さまざまな戦闘機を開発して闘おうとする者もいれば、地道に慈善運動を進める者もいる。人を率いる者もいれば、従う者もいる。それらの能力が良い意味で絡み合い、わが国は、みるみる間に経済の高度成長を遂げた。それは見事としか言いようのないことであった。しかし、その波に乗って人々は有頂天になって行く。
それまで手に入らなかった世界中の物を買いあさった。お金さえあれば何でも手に入る。怖いものは何もない。人それぞれが自由に動き出し、羽目をはずす者さえ出てきた。これで良いのかと思いながらも誰も止めることができない。そんな中で自由がさらに称賛されていく。そして、個の存在がより重視され始める。そこでは自由と放縦の履き違いも目立つようになった。いじめや虐待が数多く報道される。仲間意識が薄れる中、経済は低迷の一途を辿ることになる。そして増えるリストラと自殺。中途半端な規制緩和。やるせなさを感じる今の時代である。クローン人間の誕生がささやかれる一方で、自分の脳を冷凍保存して生き続けようとする人さえ現れた今の時代、あの大昔に目覚めた人間の美しい心はどこへ行ってしまったのか・・・。

人々はふっと思う。心が病んでいる。心が救われない。なぜ不安になるのか。なぜストレスを抱えるのか。誰が助けてくれるのか。私の心を癒してほしい。看護、介護、カウンセリング、音楽療法、アロマセラピー・・・。今、穏やかな「心」が求められ始めている。

人は誰もが、善と悪との心の芽を持って誕生する。その芽が美しい心に育つのか、それとも汚れた心に育つのかは、環境によって決まる。家庭環境、生活環境、社会環境を築いてきたのはその時代の大人達である。大人には責任がある。改めて自らの行動を省みる必要がある。そして、間違った行動を改め、今できることから進めなければならない。その責任を果たすために、明るく快活な、それでいて無理のない無駄のない温かい社会を築いていくために、善と悪とを見極めながら行動していかなければならない。財政危機や超高齢化・少子化が叫ばれるからこそ、人々は、機械ではつくることのできない人間の美しい心の大切さを実感するであろう。悲しみの心は、悔しさにもつながるが感謝にもつながる。他人の死を自分の死として、大昔の時代にさかのぼってみるのも良いのかもしれない。

(1999年11月「透看」看護トクトク情報「時代の焦点」)

                              

 
 vol.40
  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 2005-7-4
 

在宅看護研究センターに集まる看護師たちは、皆、感性が豊かで、療養者と家族の求める在宅看護を行いたい、看護の質を高めたい、看護師として自立したいと思っている点で一致している。また、センターの理念に賛同している。センターには、諸症状が伴い、複数の治療・処置を継続しなければいけない方たちの訪問依頼が集中する。年齢もまちまちである。看護を提供する場なのだから当然とばかり極力対応する。しかし、求められる必要な看護を行えば行うほど、組織としての継続が厳しくなる。これはどういうことなのか。つまり、看護の対価は上がっていくはずなのに、必要な看護にこだわればこだわるほど、その対価は下がるのだ。そして、その状況が2ヶ月続けば、組織としての経営が困難になり、必死にもがき苦しむ。結局は、短時間の訪問看護の件数をこなさなければ大赤字に転落する可能性が高いということだ。

この点について、改めて疑問を抱いた私である。これでは、訪問看護ステーションが増えるはずもない。

本来、看護師であれば、誰もが、本当の看護を提供したいと思っているはずである。看護の道に入って37年、「看護の価値」について、改めて疑問を抱いた私は、スタッフと共に振り返りながら一丸となって取り組んできた看護活動のプロセスを顧み、「求められる看護とはどのようなものか」「看護の価値はどこにあるのか」を自ら見極め、社会へ提言するために、行動を起こし始めている。

                            (「透看」1998年11月No.5より抜粋)
「私は長く生きすぎました。あとどれくらい生きられるのでしょうか?」と91歳になるT氏は言った。この言葉に村松代表は「あと1年ぐらいだと思います」と彼の視線をそらすことなく答えた。この言葉を聞いたT氏は、安堵の様子を見せながら「良かった。1年なら大丈夫。誰もどれぐらいということを教えてくれないが、それでは困る。1年と聞いたら段取りができる。安心しました」と笑みを見せながら言った。T氏は23年前に妻を見送り一人暮らしをしていた。尊厳死協会に入り、リビングウィルにサインをし、諸外国の自殺幇助についてもいろいろ調べて、自らの最後の時をどのように迎えるかということを考えている方だった。
1年前に村松代表と訪問し「最期は苦しくないようにして欲しい。下の世話を他人にしてもらうようになったら生きていることはありません。家族がいればそれは家族に本来してもらうこと」と自らの思いを語り、「最期は村松さんに目で合図するから看取って欲しい」と関わり始めてすぐに言った。死後の諸手続きについても、知人にすべてを依頼し済ませていた。そんなT氏が自分の命について尋ねてきた言葉。患者と向き合うということが言われるがこの言葉はまさに本人に対して真正面から向き合っていたからこそ出された言葉であり、その言葉にT氏も満足された。村松代表に「なぜT氏に1年ぐらいという言葉を伝えたのか。そこにはどのような判断があったのか?」と訪問後に尋ねた。「いい加減に言ったわけではないのよ。今の心臓の状態、水分、塩分摂取などから考えて、この夏が越せるかという判断があったから」という答えがかえってきた。ナースとして理論と実践を融合させ、本人から逃げずに関わっていくことの重要性を学んだ場面であった。この会話があったあとのT氏は精神的に落ち着いた様子が見られていた。この夏も終わろうとしていた8月30日にT氏は40年来の知人に看取られながら自宅で安らかな寝顔のまま逝った。自らがすべてにおいて段取りをした上で91歳の人生に幕を下ろした。     (倉戸みどり)


確かに、私は真剣にT氏と向かい合っておりました。「Tさんの願い通りできるだろうか」という不安を抱えながらも、「その願いを叶える方法はないか」と、いつも自問自答していたのです。自らの死ぬ権利を主張しつつ、死に方を考える一方で、自分が子どものころ肌で感じとってきた家族愛を求めているTさんを寝たきりにはしたくない。私の思いは倉戸さんと同じだったと思います。「あとどれぐらい生きるのでしょうか」私の目をじっと見つめて問うTさんに対して、私は一瞬詰まりながらも答えたのでした。「う〜ん、そうですね。これまで何度かお会いして来ての私の観かたは一年。一年お元気でいられたらいいと思います」。倉戸さんは帰りがけに「どうして1年と言ったんですか」と不信感を抱いているような口調で尋ねましたね。だから私は答えたのです。「私は嘘を言ったわけじゃあないのよ。Tさんに嘘を言う必要はないでしょう。私のこれまでの経過からして、夏が越せるかなって本当に思ってるの」「ふ〜ん、例えばどんなことですか」「だって、あの心臓発作の起こり具合。薬の効き目、塩分の摂り方、腹水や足のむくみ方、脈の変化、不安の強さ、話す内容や話し方等、いろいろ変わってきているでしょ?

そんなことから観てね」と、私は答えたはずです。残念なことに、私の判断は的中してしまいました。私たちナースにとって、看護の理論と実践を融合させ、逃げずにかかわっていくことはとても大切なことです。けれどもそれ以上に重要なことがあります。それは看護の受け手の考え方や生き方を含めた心身の全体像をとらえ、それらの変化についても、その都度だけではなく、長期的にも目を向けていくことなのです。Tさんは、私たちによく語っていましたね。「50代、60代、70代、80代、90代で、思いや考えは違ってくるんですよ」。                (村松静子)

             

 


vol. 1〜3  「心」を思う その1・その2・その3

vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 7〜9  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える

vol. 10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー  開業ナースがゆく その1・その2

vol.13〜15  開業ナースがゆくその3 
看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる
 ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引

vol.25〜27  ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

vol.28〜30  看護師の資格の意味を問う  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?  ラーニングナース制

●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から  恩師、國分アイ先生

●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと) 介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと

●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」

 

コラム(村松静子)へ戻る