起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol.36
  介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと
2004-10-18
 

「どうせ助からないのなら、家へ帰りたい」「私はこの家がいい」「ここで暮らしたい」「この家で死にたい」

それらの声を受けて、世界最高水準の高齢化率を誇るわが国は、その人らしさを支えるべく体制を模索している。高齢者保健福祉計画を数年ごとに見直すということを条件に、ゴールドプラン、新ゴールドプラン、ゴールドプラン21とその情勢に合わせて方策を掲げ、それらに基づいて推進してきた。そして、新たに「介護予防10ヵ年戦略」を掲げ、効果的な介護予防対策を推進しようと動き出している。やや強引な位置づけとも思える「介護予防」という不可思議な連語。それはさておき、久しぶりに、今の私の心境を語らせていただく。

日本的ともいえる"かたくなな姿勢"が崩れたのは十年前のこと。日本にはなじまなかった規制緩和の波が上陸した。高齢福祉の市場に競争を創り出し、一方で規制を強化させていく。団塊の世代が高齢者の域に入る時期を気にかけながらも、2000年、見える形だけを追って見切り発車させたのが介護保険であった。その4年後、早くも予測していた事態は起こった。起こるべくして起こった介護保険財政の悪化。このままでは介護保険制度は持続できない。そんなことは最初から分かっていたはずだ。それなのに、資金が降ってくるかのように保険財政を中途半端に投入し、あっという間に底を見てしまった。「これではまずい。このままでは歳をとれない」内心そう思っているのは私だけではあるまい。そんな中で、介護保険制度の見直しが始まった。そして打ち出された苦肉の策が「介護予防対策」である。65歳以上の高齢者が支払う介護保険料(基準月額)の全国平均が、2006年度の次期改定で4000円を超える見通しであることが明らかになった。2003年度の改定による現行保険料から20%以上の上昇で、前回の13・1%増に比べても大幅な引き上げとなる。保険給付費が、特別養護老人ホームなどの施設サービスで年率約10%、訪問介護など在宅サービスで同約20%ずつ伸びているのがその理由だという。高齢者が重度化して要介護度の高い状態でサービスをより多く使うようになれば、介護保険の公費負担や保険料はさらに膨らむことは見逃せない事実である。自由の尊重、個人の選択、その人らしさを支える? とはいえ、なかなかそうは行かない。個々の事情は千差万別である。ケアマネジメントの質を個人が納得し、選択できる方法論を見出すことが重要だと、私は介護保険が制度化される以前から考えていた。その考えは今も変わらない。サービスありきでのケアマネジメントは決して有効とはいえない。土地柄とその人なりを重視するという積極的な姿勢が必要なのである。「してやる」「みてやる」はもう止めなければならない。
人は何のために生きているのか、どんなとき頑張れるのか、何に向かって頑張れるのか、どんなとき生きようとするのか。それらの問いの中に、介護予防のヒントが隠されているように思う。また、資格をもつだけの専門職種を揃えても事態は解決しない。指導力不足の教師が増加しているこの時代、教授内容や教授法をも評価するようでなければならない。そして、肩書きや資格取得に偏った研修を増やすのではなく、職人の腕を磨くような、そんな研修の考案が必要なのではないか。
厚生労働省は、来年の通常国会に提出予定の介護保険改正案に給付抑制対策を盛り込み、保険料の伸びを抑えたいとしている。このままでは、制度持続が難しくなる。法案では、制度のスリム化や重点化を中心にせざるを得ないというのだ。しかし、何を見直し、何を削り、何を重視し、何に目を向け、どのようにしようというのか。介護保険制度が抱える問題を解決する上でのプロセスはしっかり踏んでほしいものである。

「家族がいないということは辛いことですね。家族がいると、遠慮なく身の回りの世話をしてもらえる。でも、人様にはそのような姿を見せるわけにはいかない。自分の語り口がゆっくりとなって、言葉がすぐに出てこなくなったりしますと、私はいやなのです。周囲の方は、笑いながら、歳をとると皆そうなるといわれるが、私はそれがたまらなくいやなのです。若い時分は楽しかった。だから、よく働きもしました。」「ひとりでいると気をつかわなくていいのですが、部屋の中で倒れたらどうしよう。誰もいないところで眠るように死ぬのは寂しい。やっぱり、家族のいるところで、自分で死を悟って息を引き取りたい」「もしかしたら、あなたに目で合図することもできないかもしれない。しかし、私の気持を察して動いてほしいのです。あなたに連絡が取れさえすれば安心だ。」
数年前在宅で静かに逝った、一人暮らしのTさんの言葉が蘇ってくる。

一看護師として現場に携わる一方で、一市民、一女性、そして家族の一員として歩み続けた私は、50歳代半ばを駆け上り、フッと立ち止まって、思うことがある。

人間、"生きる気力"を保ち続けられるかどうかで、人生の歩み方が決まる。そこには日々感ずる喜怒哀楽に加え、自己の存在価値を自他共に認められることが必要である。そしてそこに不可欠なこととして"譲り合う心"の存在がある。共に社会をつくる同士として、互いに一歩ずつ近づき、一歩ずつ譲り合うことが、今、求められているように思う。

                



 
 vol.35
  安比高原の女(ひと)
  2004-08-26
 

目的地だけを決めて旅立つ旅もまたいいものである。

旅の情報誌のなかのキャッチフレーズをもとに宿泊先を選ぶ。拘束されずに、行き当たりバッタリで行動する旅、そんな旅には一味違った出会いがある。安比の女(ひと)は突然の電話にも心地よく応対し、真っ赤なウインドウブレーカーを身にまとって、無人駅に立ち下りた初めての客を満面の笑顔で手を振って出迎える。そして、自ら運転してホテルへの道案内をする。そこには安比の女(ひと)ならではの親しみが満ち溢れている。そんな女(ひと)の姿に惹かれ、客は宿泊への不安が薄れて窓の外の景色を楽しむことができる。出会いとは不思議なものである。

安比の女(ひと)が切り盛りする「リゾートインブローディア」には、そのこだわりが随所に滲み出ている。昭和22年秋田生まれの東京育ち。家族でのスキー旅行で安比と出会い、安比の自然のあまりの素晴らしさに惹かれ、夫と別居してでも移り住みたいとすぐさま思い、決心した。そして、住み着いてしまったのだと言う。二人の子供も安比の自然の中ですくすく育ち、その時からすでに15年の月日が流れた。夫は他地で仕事に精を出し、月に数度訪れては、男ならではの大工仕事に一日中汗を流す。将来は二人で、気温の穏やかな沖縄に住み、のんびりと過ごしたいという熱々夫婦の生き方がそこに映る。

安比の女(ひと)に惹きつけられるその源は、一人の女として、自分の思いを失わず、自分らしく生きていこうとするその姿であり、そこで必要となる1つ1つのことに熱中して取り組み、楽しんでいるその心である。
自宅農園で作った新鮮野菜は、料理の1つ1つに、そのまごころが詰まっている。熱いものは暑く、冷たいものは冷たく、色合いも、バランスもすべて整っている。よそわれる器も、それらにしっかりマッチして、絶妙な味を出す。室内に備えられた置物や壁掛け、植物、そこにも安比の女(ひと)のこだわりがあり、部屋全体が心地よい。愛娘とのコンビ、愛犬たちとの生活もまた、その魅力になっている。「リゾートインブローディア」の周辺の緑はもちろん、花々もまた客の心を癒してくれる。
一度は安比高原へ足を運んで、安比の女(ひと)に会ってみるのもいいかもしれない。

安比の女(ひと)の自分の気持ちに素直に生きようとする姿は、実に人間らしい。

 

 
  vol.34
  國分アイ先生の遺志を継ぐ
  2004-06-15
 


先日1通の封書が届いた。先生の弟さんと妹さんの連名のものである。
そこには、次のような言葉が添えられていた。


姉が生前お別れのご挨拶にと書き記しておいきました文、そのままでございます。

姉、國分アイ儀、平成十六年四月十四日、多発性骨髄腫にて死去いたしました。故人の生前の希望により身内の者のみにて野辺の送りを済ませ、このほど49日の法要を相済ませました。在世中は心からなるご厚誼を頂きましたこと本人に代わり心から御礼申し上げます。
平成十六年六月
                           弟  國 分 ○ ○


闘病生活をつづけながらも「看護の道ひとすじ」に生きた姉でしたが、最期は全く苦しむことなく胸に手を組んで安らかに旅立ちました。享年八十三歳でございました。
荼毘に付します時、大好きだった俳優上川隆也さんの直筆のサイン色紙と、カサブランカを胸に抱き、最後に、姉の手づくりの日赤のナースキャップを景山セツ子先生に戴帽式さながらに頭に載せていただきました。それは黄泉の国での新たな看護の道へのスタートの証となり、永久に看護ひとすじに歩みつづけていくことでございましょう。・・・

姉の優しさを感じ、その遺志を貫き通そうとした弟さんと妹さんのお心が伝わってきて、私はまた違った意味で感動した。先生よりも若いとはいえ、高齢で病弱な弟や妹たちになるべく負担をかけまいと、生前から配慮していた姉としての姿がそこに重なる。先生ならではの温かな心遣いは死後にまで続いていたのである。
國分アイ先生はやはり偉大な人なのだと、私は改めて思った。死が生の続きであれば、先生はご自分で作られたナースキャップに、こよなく愛した赤十字のマークをつけ、白衣を着て、あの優しい眼差しで、今でも苦しんでいる方たちに手を差し延べていると考えることもできる。そして、時には得意な刺繍に没頭し、時には、アップルパイを焼き、時には、書を開き学びながら、執筆に専念しているのではないだろうか。 

妹さんがくださった手紙の中の一文に、私はあの日のことを思い出す。

「・・姉が動けずにいた折、村松様が訪れてくださり、ベッドにまっすぐ体をのばして寝るようアドバイスしてくださったり。元気なお声で気合をかけてくださった時から、痛みがとれ、動けるようになったこと、鮮明に浮かんで参ります。・・」

妹さんがおっしゃるように、私は元気すぎて、気合をかけることがある。
若き日に、先生に向かって発した一言がある。
「私は、國分先生は大好きですが、國分婦長は嫌いです」
その言葉を先生はしっかり覚えていて、会うたびにおっしゃっていた。
「あの言葉はねえ、う〜ん、ショックだった。でも、せいこさんに言われるとねえ、納得!」




「八十乙女のつぶやき」というタイトルの著書が妹さんの手によって出版されると聞いている。その中には、先生の奥の深い真心がさらに綴られているはずである。私は、その著書を手にとるその日を楽しみにしている。
    

vol. 1〜3  「心」を思う その1・その2・その3

vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 7〜9  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える

vol. 10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー  開業ナースがゆく その1・その2

vol.13〜15  開業ナースがゆくその3 
看護の自立をはばむものその4-2 本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる
 ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引

vol.25〜27  ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

vol.28〜30  看護師の資格の意味を問う  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?  ラーニングナース制

●vol.31〜33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から  恩師、國分アイ先生

●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」

●vol.40  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2 
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い


 

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