起業家ナースのつぶやき    村松 静子 Muramatsu Seiko


 
vol. 3
  「心」を思う その3 
2001-10-4
 
 

 生きているものにとって、闘争や攻撃性は宿命といわれるが、今や憎悪が憎悪を生み、暴走し始めている。進化した脳に何が起こったのか、何がそうさせるのか。感情と知性のバランスがとれた人間らしい心はどこへ行ってしまうのか。人間にしかできない文明と科学技術を生み出しておきながら、一方で、人間らしい心を失いかけている。
最近の報告では、「高齢者の介護」が20万年前すでに行われていたとする説があるという。仏南部の遺跡で見つかった40−50歳代の人骨の分析から推定されたことで、「すべての歯を失い、食べられなくなった人を周囲が世話をしていた」というのだ。これまでの研究では、人間がお互いの世話をし合うようになったのは6万年前とされ、いたわり合いながら生活し、仲間の死をいたみ、死者に花を手向けた。死の認識をきっかけに人間らしい心をもつようになったと推測されていた。それが、さらに14万年も前にさかのぼり、弱者をいたわっていたという当時の人間生活の情景が浮き彫りになっていく。
「愛」と「憎しみ」という二面性をもつ私たち人間には、自己制御によって常にそのバランスを保つことが要求される。そのバランスが崩れると、「思ってもいなかった」道に入り込んでしまう。「介護ヘルパー逮捕」「ケアマネジャー逮捕」高齢者から現金を盗み、窃盗の疑いで逮捕されている。多くの可能性を秘めた私たち人間だからこそ、「人間性」について見つめ直す時期が来ているように思う。不安を抱えながらも、一方で夢を抱き、感動を覚える私たち人間の心。人間関係の希薄さが目立つ今の時代、無意識のうちに抑えられ、鬱積していた感情が一気に顔を出す。コントロールできなくなった感情の爆発だ。心が傷つき、葛藤の障壁に向かって怒りを込めてぶつかるその姿は、地球異変によって怒り狂った自然界の姿と重なって映る。今、改めて、拍車を掛けるエゴ社会と引き換えに失いかけている本来の心を取り戻すことを考えなければならない。


 
vol. 2
  「心」を思う その2 
2001-9-5
 
 

 人の心は傷つきやすい。その傷が深くなりすぎると、強い不安感やパニック発作を起こす。その状態が長く続くと、ケアに加え、本格的なキュアが必要になる。大きな事件が目立つ今の時代、心にどう立ち向かうかが問われている。
 先日の新聞記事「安楽死選択 心の軌跡 〜 オランダで亡くなった日本人女性の日記出版」、安楽死を選択したネーダーコールソン靖子さんが、亡くなる10分前まで約2ヶ月間書き続けた日記が出版された。「痛みや症状が極限に達したときではなく、冷静で心身の安定した、心落ち着いた幸福な雰囲気の中で安らかに逝きたい」と願う靖子さんは、医師や夫と治療の方法を話し合い、自分を奮い立たせてポジティブに生きてきた。手術や放射線治療を繰り返し受けた。しかし10年後、背骨にまで転移し、完治が難しくなった。その頃から「死」を意識し、安楽死について考えを巡らせていく。そして、家族や友人と晩餐を楽しんだ夜、靖子さんは死を選択し、52歳で逝った。靖子さんの「安楽死」の選択は決して安易なものではなかった。確実に訪れる死を意識しての生活には想像を絶する苦悩がある。病気としっかり向き合って生き続けた靖子さん、それを最期まで支え続けたご家族、家族の温もりと愛が伝わってくる。
 人の心は傷つきやすいが、人の温もりや愛によって癒され、強くなれる。ケアの根底には、優しさや温もりが求められる。ケアの担い手と受け手の間に感情が交流すると、それらはより一層の価値を生み出す。心を持って心に向かう、そんなナースでありたい。

 

 
vol. 1
  「心」を思う 
2001-8-13
 
 

 社会に見せている外向きの顔、人は真の自分とは異なる対社会的・外面的な顔で人生を演じている。ホンネとタテマエの二重生活を送っている。現実に振り回されながらも、必死に自分を守ろうとする。ちっぽけな自分でしかないのに、それだけのために、いつもおろおろしている。本当は、幼少の頃のように、自分にもっと素直になって楽になりたいのに、社会に出てから何重にも被り続けたペルソナを、せめて一枚だけでも脱いでしまえばいいのに、それがどうしてもできない。それだけに留まらず、所属した組織の肩書や名刺・役割で、灰汁の強いペルソナを被った自分に変身していく。
 本来のペルソナは、複雑な社会の中で、本当の自分らしさを保ちながら、しなやかに、おおらかに生きていくための大切な小道具であるはずなのに、なぜか、心の奥から舞い上がる感情がそれらのことをさせてはくれない。その舞い上がる感情を生み出すのが学問を通して培われてきた社会的承認欲求で、「他人と比較して誉めてもらいたい」「人をあっと言わせたい」「やった仕事の価値を認めてもらいたい」「人前で恥をかきたくない」など、パーソナリティのダイナミックな姿を表出させる。それらの欲求が強くなり過ぎると、ペルソナの奥の「善と悪」との2つの顔が、突如「悪」一色に染まる。そして、そこには必ず犠牲者が出る。ペルソナだけの心のない人間になってはならない。自分の真の心を失ってはならない。最近、私がつくづく思うことである。

 


vol. 4〜6   看護の自立をはばむもの その1・その2・その3

vol. 7〜9  この時期になると浮かんでくるあの光景 その1・その2 私は言いたい、今だから言える

vol.10〜12 看護の自立をはばむもの その4ー  開業ナースがゆく その1・その2

vol.13〜15 開業ナースがゆくその3 看護の自立をはばむものその4-2本当にほしいサービスができないわけ

vol.16〜18 点滴生活雑感 ともに創る幸せ 看護の自立をはばむものその5

vol.19〜21 ともに創る幸せ2 ともに創る幸せ3 ともに創る幸せ4

vol.22〜24 ラーニングナースを位置づける その1なぜ必要か その2応援団はいる
 ナースの私が抱く疑問〜1.痰の吸引

vol.25〜27   ナースの私が抱く疑問〜2 静脈注射 素敵なエッセイの贈り物 疑問は疑問、「今の時代って?」

vol.28〜30  看護師の資格の意味を問う  感受性を揺さぶる学習環境が必要なのでは?  ラーニングナース制

●vol.31〜
33 40年の歴史をもつ企業内大学老舗『ハンバーガー大学』 
介護保険が抱える問題〜看護にこだわる開業ナースの視点から  恩師、國分アイ先生


●vol.34〜36 國分アイ先生の遺志を継ぐ 安比高原の女(ひと) 介護保険制度の次の手は介護予防?〜今、私が思うこと

●vol.37再び「心」を思う その1vol.38 在宅看護研究センター20回設立記念日を迎えてvol.39「医療行為」、そこに潜む「矛盾点」

●vol.40  スタッフと共に追求する看護の価値:その1 vol.41スタッフと共に追求する看護の価値:その2 
vol42.「在宅医療支援展示室」の誕生、その裏に潜む願い


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