道具としての笑い     江口 歩 Eguchi Ayumu 


 
vol. 9
  知りたい欲求パワー
2002-5-12
 

 

大変ご無沙汰しております。
新潟のお笑い集団NAMARAの江口でございます。
ご無沙汰しているうちにいろいろ話したいことがたまりました。
何から話していいか分からないくらいにたまっています。
そこで一挙簡単に吐き出したいと思います。


1. 新潟大学病院小児科にNAMARA芸人講師として招かれる。
  現役保育師でもある芸人ポポは保育園や幼稚園のイベントによく呼ばれます。
  紙芝居を使った芸。体操(体)を使った芸。声を使った芸を得意としています。
  こどもはもちろんのこと保母さんにまで人気があります。
  今回は入院しているこどもたちにどのように接すればいいのか講師に行きます。


2.「こわれ者の祭典」病気だよ全員集合 5月31日開催。

  アルコール依存症自慢。引きこもり自慢。ノイローゼ自慢。AC自慢。
  疾患を持ちながらポジティブに生きようとする病気自慢のイベント。
  NAMARAが企画立案に関わり司会進行をつとめる。
  昔なら「ふざけるな」と怒られるようなイベント。新潟では話題になってい
  ます。


3. 自殺防止シンポジウムにパネラーとして出演。あしなが育英会主催。

  自殺王国新潟。自殺遺児の現状を探るイベントにNAMARA共催。
  自殺防止にお笑い集団。これも昔なら考えられなかったこと。
  7月13日開催。


4. 不登校の生徒が集まるフリースクールの祝察を依頼される。

  どのように生徒と接したらいいのかアドバイスをNAMARAが求められました。
  先日行ってきました。接し方に困るような子どもたちではまったくなかったです。
  むしろ何でも話せるような雰囲気でした。
  なのにどうやって接していいか分からない人たちもいます。


「笑い」が様々な形で活用されている現在。
いま一番と感じることは関係性の希薄だと思います。
親と子の関係。学校と家庭。地域と社会。様々な関係があります。
それらすべてが薄っぺらな関係だけで成り立っているような気がします。
そのおかげで表面的な現象だけに捉われ本質と向き合うことを忘れてしまったようです。
「笑い」は本質を捉えていないとネタは拾えません。
ひょっとするとNAMARAに本質を探して欲しいという依頼なのかも知れません。
で、本質はどうやって探すのかというと、それは興味、好奇心です。
いずれにしても本質を捉えていないと関係は築けません。


次回は1〜4をもっと詳しくお知らせします。

 

 
vol. 8
 
2002-2-18
 

 

ちょっとやってみて下さい。
16個の形容詞を横一列に書いて下さい。
思いつかなかったら、最後に『い』が付けば何でもいいです。
結構時間のかかる人がいますが、このくらいはスラスラ書ける方が会話には便利です。

さて、書き終わりましたら、一番最初に書いた形容詞と二番目に書いた形容詞をよく見て、直感的に感じたことをその下に書いて下さい。三番目と四番目も同じ要領で続けてお願いします。こうしていくと、八個の"感じたこと"が書かれることになりますが、これもまた同じ要領で一番目と二番目のものを見て直感的に感じたことを書いていきます。
 例えばこんな感じ

  く こ き や | | | | |・・・・・
  さ わ れ ば | | | | |・・・・・
  い い い い | | | | |・・・・・
   V   V    V   V   V 
      だ 
      
      さ   ・・・・・・・・・・・・・・
       
       
       
     V
     い
     じ    ・・・・・・・・・・・・・・
     め 

注意 @嘘は書かないこと
   A素直な気持ちで書いて下さい
   Bあまり深く考えないで下さい
とにかく直感的に感じたことを書いて下さい。

最後の一つを書き終えるまで、このあとの文章は読まないで下さい。
 
そんなに時間のかかるものではないので、まずは書いてみましょう。
書きましたか?
書けましたか?
本当ですね?
いや、このコラムを読んでいる人の6割は書いていないはずです。
いいですか6割の人たち。
面倒だと思います。正直言って僕ならやりません。
やるわけありません。
やってられるかです。
でも貴方はやってください。
ここまで読んでおきながらまだ書いていない人。
貴方です。
さっきの6割から今では3割くらいにまで減ったと思います。でも貴方はまだかいていません。
貴方は一生懸命書いて次を読みたいと思っている人の足を引っ張っているわけですよ。
最後の一つをやっとの思いで書き終えて、期待を胸に読み出したら、書いていない人たちを説得している文章が続いているわけですから。書いてしまった人たちにしてみれば、いい迷惑です。
書いていない貴方。
貴方は書いてしまった7割の人たちのことを何とも思わないのですか?
とか言っていいるうちに書き終えたでしょうか。
結論から言いましょう。
最後に残った言葉は、今の貴方を象徴している言葉です。
これ、結構当たりますよ。
どーですか?
最後に残った言葉には貴方の本音が隠されています。
最後に残された言葉の会話をしていますか?
たまにでいいけど、本音の会話をしていますか? 

 

 
vol. 7 
  嫌いなもの研究
2002-2-9
 

 

 昨日コンビニで久しぶりに『プッチンプリン』を買った。
『プッチンプリン』の"プッチン"たる所以は、底にある突起物をプッチンとするところにある。
皿を下に置き、突起物をプッチンとするとヌルルルンとプリンが雪崩落ち、皿の上のプリンが、それこそプリンっといった感じで揺れ動く瞬間がたまらない。
ところが昨日オレが買った『プッチンプリン』は、もうすでに誰かが"プッチン"していやがったのだ。
もう、全然食べる気が起こらないのである。
気付かなかったオレもオレだが、店員も店員だ。
二人のチェックをかいくぐったのだから、犯人はさぞ満足であろう。
オレが"プッチン"出来ないことを想像しながら笑っているのであろう。
「あれ?"プッチン"が・・・えっ、どーいうこと?」
と、オレの困惑した顔を想像しながら、笑っているのだろう。
過去に一度、店頭に並ぶバナナを一本だけ指で押して柔らかくしたことがある。
買った人は、一本だけグニャグニャなのが入っていてさぞびっくりするであろうと影で笑っていたものだ。
まさか『プッチンプリン』で仕返しにあうとは思わなかった。
どーでもいい話はこれくらいにして、本題に入ろう。

『生理的に嫌い』などと使う"生理的"って、何なんだと思います?
『わたし、あの人とは生理的に合わないの』
この時に使われる"生理的"って、どういう意味で使っているのでしょう。
たぶん、わけがわからなく使っているのではないでしょうか。
と言うのも、"生理的"って言葉自体が"よくわからない"とイコールだからです。
 生理的に嫌い=よくわからないけど嫌い
 生理的に合わない=よくわからないけど合わない

好きな人のことは、好きということだけあって、相手のことを知ろうとします。
嫌いな人のことは、嫌いなのですから知ろうとはしません。
知ろうとはしないのですから、その人のことは好きな人より知らなくて当然です。
つまり嫌いな人のことはよくわからなくて当たり前なのです。
ところが我々のようなサービス業は不特定多数の人と接します。
中には嫌いな人も、合わない人もいます。
そんな人たちも笑わせなければならないのです。
でも、嫌いな人のことをよく研究して知っておかないと、笑わすことが出来ません。
"あの人とは生理的に合わないから笑わせられない"なんて言えないのです。
ですから、我々は好きな人と同じくらい嫌いな人にも興味を持ちます。
その興味が情報になります。
その情報の蓄積が嫌いな人に対応出来る要素となるのです。
普通は嫌いな人のことを研究しようなんて思いません。
でもやってみると気付きます。
結構どうでもいいことだったりします。
もっと言うと、自分にもあることだったりします。

結論。
好きなものの情報は黙っていても入ってきますが、嫌いなものの情報は意識しないと入ってきません。
嫌いな人や苦手な人と円滑なコミュニケーションをはかろうとする場合は、その人を研究しましょう。
みなさん、身近にいる嫌いなヤツをいま頭の中に描いて下さい。
その人とさっそく明日、飲みに行きましょう。しかも二人で。二人っきりで。
そうとうキツイと思いますが、慣れると笑えます。
『やっぱりオレこいつ嫌いだ』と思いながら、『お前っていいヤツだな』と言っている自分が笑えます。
訓練。訓練。

 


 

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