八十乙女のつぶやき
   国分 アイ Kokubun Ai   
         


  vol.10   ラジオ深夜便からのメッセージ    2008-3-13

予測のつかないミレニアム問題が騒がれた1999年から2000年にかけての年越しを、私はベッドで迎えた。しかし、ミレニアム問題がどんな現象で、なぜ避けなければいけないのかを、私自身ははっきりとは理解していなかった。

担当医の病状経過の観察を受けるという目的と、ミレニアムによる混乱からの逃避ということもあって、私はあまり馴れていない6人の大部屋に入った。プライバシーは、壁のごとく張り巡らされたカーテンの中だけである。

9時消灯。6時起床までの9時間の病院の夜は長い。老人の眠りは、せいぜい5ないし6時間あれば十分である。消灯後の音と光は同室者へのご迷惑。テレビも読書も付加である。そこで、長き夜をもてあます者は、携帯ラジオをレシーバーで聴くということになる。私は普段から自然の眠りを願っていたので不眠をかこち、ラジオに頼ることも少なくなかった。そのとき、NHKの『ラジオ深夜便』という番組が、知る人ぞ知る老人の人気番組であることを、初めて知った。午後11時から午前5時までの6時間、トーク、懐メロ的歌謡、心の講話など、一人のアナウンサーが担当する。投書者の声も採用される。若者文化についゆけない我々世代に常連リスナーが多くて、時々、NHKの地方局でリスナーの集いを開いたりしているようである。

たぶん、1月2日、消灯後2,3時間たった頃だと思う。夢うつつに聴くともなく聴いていた私の耳に、眠気をいっぺんに覚ますような言葉が飛び込んできた。聴いているうちに、偶然というべきか、場違いというべきか、語られる言葉に共感し、感動し、いつの間にか涙が出てきた。さらに、目から鱗が落ちるという思いをしていたのである。その後、病床で何度も思い出し、噛みしめ、誰かに話してみたいと思うようになった。1月4日の病院の食事箋の裏側に、この思いを忘れまいと書いたメモが残っている。

この番組の中で、「難民を助ける会」というボランティアグループの代表、暉崚淑子氏がコソボに赴いて難民の救済にあたったときのことを、淡々と語っておられたのである。

「人間の歴史は、戦争で人を殺し合うことだった。しかし、その裏側にある人間と人間のふれあいこそ、歴史としてとらえるべきではないか」

このことは、私にとっても最近疑問になっていたことであった。東西の冷戦終結後も絶えない地球上の争い。なぜ人は人を殺すのか?中には個人の権力、権勢への欲望が目的で人を殺し、しかも奸計、奸策をもって勝利を得ても、勇者として歴史上の名を残す人物もいる。これが私にとって、納得のゆかない疑問だった。

ああ、ここに私の疑問にこたえてくれる、こんな考えをもっている方がいた。私は自分の考えが荒唐無稽、浅学非才の無知の故であり、歴史家からは相手にされない嘲笑ものであろうと思っていたのである。

「赤十字は国際性を身につけるようになった」。さらにこの言葉が私の関心を誘った。かつて私は、赤十字の看護婦として戦時救済に参加した。その頃、♪味方の兵の上のみか、言葉も通わぬ仇までも、いとねんごろに看護する、心の色は赤十字・・・♪ という従軍歌も唄われていた。入学して、赤十字の創始者、アンリ・デュナンの精神は「彼我ノ別ナク、懇篤親切ニ看護セヨ」であることを教えられ、私はホッとした。敵と味方を区別せず、平等な精神で戦時救済にあたることができると思ったからだ。しかし、乗り組んだ病院船に、ある時船員が武器と共に乗船した。白い船体に緑の線と赤十字のマークをつけていながら、ぎっしりと息もつけぬほどの兵員を乗せて、シンガポールに上陸させたのである。明らかな国際法違反で、その報復でアメリカの魚雷攻撃を受けたのだ。赤十字は中立公平と信じていた私の思いは、一度に吹き飛んでしまった。ここにも戦争の矛盾があった。

戦後、赤十字で看護教育に当たるようになり、改めて赤十字の基本原則を知った。それは、「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一」というものだった。私は、この理念で看護教育ができることに喜びと誇りを感じていた。これこそ、今こそ21世紀に向けて、地球上に住みつく人類が共有すべき指標ではないのか。宇宙時代そしてIT時代を迎えたとはいえ、戦争というものは人類を自滅させるものであることに変わりはないのである。

しかし、私が思うほど赤十字の活動の場は広くはなく、あまり力も発揮していない。なぜだろうか。私が密かに尊敬している女性に緒方貞子さんがいる。国際紛争のたびに国連難民高等弁務官として活躍されていたが、その活動に際しては非常な困難に遭われていた。その理由として緒方さんは、「国連はその後ろに国家が控えていて、その利害関係が絡むから」という意味のことを言っておられて。赤十字にも同じことがいえるのだと納得した。

それにしても、 暉崚淑子という方はどんな方なのか。言葉がはっきりしていて、話の中身も整然、理性と知性があり、論旨の展開も明解であった。女性でこんなタイプに方は初めてであった。

真夜中の感動をそのままにしておけず、暉崚氏の語られたテーマやその考え方をもっと深く知りたいと思い、退院後、暉崚氏についてNHKに問い合わせてみた。連絡先を教えてもらい、電話してみたが、留守担当的役割らしい方が出られた。80歳で始めたパソコンでも、情報を得る要領がわからない。

老いと病は、私の一夜の興奮の灯を静かに消し始めたようである。 (2000年 1月)

 



     
vol.1
老いて画く自画像 vol.2 老年の一つの仕事 vol.3 文系と理系
vol.4 日本人の宗教観を思う vol.5 拙宅へどうぞ vol.6 老いを生きる日々
vol.7 生涯未熟 vol.8 ファッションって、どんなこと vol.9 うどん屋の釜


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